「映画」「舞台(芝居)」「TVドラマ」「TVゲーム」「特撮」「俳優」「バラエティー」「お笑い芸人」「漫画」「小説」「怪談」など批評、評価、感想、意見、注文、いろいろ書きます。
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2008.03.22
 野田秀樹は、何でも出来る何でも屋さんである。芸達者だと思う。(人物名敬称略)

  53歳になろうとしているのに、小さな体に軽い身のこなし、きゃしゃな体でちょこまかと動き回る。運動神経はかなりいい。といっても役者は、体が資(基)本だから。TVドラマや映画より、舞台(の演技)が一番向いている。似合っている。

 日本バージョンでは、主人公「ビジネスマン役・イド」を、ロンドンバージョーンでは、「人質に捕らられる妻役」を見事に演じきった。どちらもまったく違和感がない。

 どちらかといえばロンドンバージョンの女役のほうがいける。背の小ささと細身のスタイルが功を奏し、妙に色っぽい。ロンドンバージョンは、男が女役に女が男役にした意味かわからない。日本バージョンは男役と女役はそのままの配役なのに。男女を入れ替える必要(意味)はあったのだろうか?

 もう一つ、手の指を鉛筆で表現しているのは?指を切断するとき、手で「ポキッ!」と折るか、鉛筆を包丁で切り取るが、手の指を鉛筆に見立てなくても、(リアルな)作り物の指を切断してもいいと思う。指を切断すれば相当の出血である。ポタポタ血が垂れた方が、イドの凶暴性がわかりやすくていい。(あくまで個人的趣味です。)そういうところの野田の演出がよくわからない。

 細かいけれど、俳優の近藤良平が人質に捕られた幼児役を演じるなら、あごひげは、この舞台のために剃るべきではなかったのか。あごひげが生えた幼児はいないのだから。

 この2つのバージョンとは別に、もう一つのバージョンが出来ると思う。イドの妻と子供を人質にとった脱獄犯オゴロ側のバージョンだ。もし、そのバージョンを舞台でやるとしたら、どういう作品になるのか興味深いところである。

 私は、この作品は傑作だと書いた。ただし何回も観たい、保存したい作品ではない。1度(2バージョンあるから2度か。)観れば満足だからだ。後味の悪い作品が嫌いだからかもしれない。

 この作品は、筒井康隆の短編小説「毟りあい」が元になっている。ちょっと読みたいと思った。傾いた世界―自選ドタバタ傑作集〈2〉 (新潮文庫)(←クリック)この本の中の短編にある。
 
 この作品を評した、河合祥一郎(英文学者)の読売新聞の記事で締めたいと思う。

 「~~~観劇時は気づかなかった筒井の表現の特徴なども確認できて興味深い。しかし、戯曲を読むことが、小説を読むことと決定的に違う体験であることを改めて認識させてくれるのは、やはりこの戯曲に優れた演劇性があるからだろう。」
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テーマ : 演劇

ジャンル : サブカル

2008.03.19
 「THE BEE」(←クリック) ストーリー、解説、スタッフなどが読めます。

 少しだけストーリーを書くと、そこらへんの平凡なビジネスマン・(主人公)イドが、脱獄犯に妻と子供を人質にとられた報復に、逆に脱獄犯の妻と子供を人質にとり復讐するというストーリー。

 「日本バージョン」と「ロンドンバージョン」と、どちらが良いか?と問われたら日本バージョンの方を選ぶだろう。甲乙つけ難いが、こればかりは好みの問題。

 なぜ日本バージョンを選んだのかは、背景、美術では日本バージョンの方が、この題名と同じく「シンプル」だからだ。大きな紙一枚で、いろんな形を表現している。人影(絵)で、脱獄犯の殺人事件のあらましがわかり、路上や家にもなる。さらに窓や扉になり、テレビにもなる。果てはタオルにも封筒にも変化するのだ。野田演出のセンスの良さとアイデアが秀逸である。

 かといって、ロンドンバージョンの背景、美術が悪いわけではない。ゴム紐がマイクになったりフェンスになったり、家の壁も向こう側にも人がいると感じさせる透ける鏡と、合わせ鏡にもなっている。

 もう一つ挙げるとすれば、ロンドンバージョンだと字幕を見なければならず、舞台(芝居)に集中出来ない点。テレビで見るのなら、さほど問題はないけれど。 

 どちらのバージョンも前半は、目まぐるしい展開にまったく飽きない。一見ドタバタとも取れるが、計算尽くされている。「静→動→静→動」の繰り返しの演劇や映画の流れが普通だが、この舞台は、「動→動→動」とダイナミックに俳優が動き回る。たった4人の俳優で数十人の人間に瞬時に入れ代わるスピード感がいい。

 警官の頭を殴りつけた後、脱獄犯の妻と子供を人質にとったことから、イドの「暴力性」が開花する。被害者であったイドが加害者になり、脱獄犯と立場が逆転するのだ。音楽と歌にあわせてイドの踊るシーンがあるが、狂喜乱舞ではなく狂気乱舞(この四字熟語は間違い。)という意味なのか?

 イドの精神と肉体は、(「松田優作さんを語る」を3月5日のブログに書いた)日常に潜む「悪意」 日常に芽生える「殺意」 日常を蝕む「狂気」とピッタリだと思う。

 後半は一変して台詞のまったくない、「静→静→静」の繰り返す、ゆっくりとした時(間)が流れる。(そのシーンは説明しません。観てもらったほうがいいから。)非日常だったのが日常になっていくという恐怖。この脱獄犯の妻でさえ、イドに身を委ねるのだから。

 最後にイドは、脱獄犯と電話の会話で「~~次は俺の小指を送ってやるよ。」と自分の指を切断しようとする寸前で終わる。なんとも後味の悪い終わり方だ。劇場で観ていたならば、イヤ~な気分で劇場を後にしただろう。しかし、この終わり方は野田の意図するところであり、狙いでもある。だから終わり方はこれでいい。意味深な終わり方といったらいいだろう。

 題名「THE BEE」の意味する「蜂」が影絵になって写るのは、イドの恐怖心なのか、それとも幻影なのか?最後の蜂の羽音は、イドの頭の中なのか、心の中なのか?(いろいろ想像してみた。)

 題名でわかることは、蜂の針で人間を「指す」「刺す」「射す」のだ。
 精神も肉体も「殺す」ということだ。 

 この作品を観て「さすが~野田秀樹!」と思わせる傑作の一本(2バージョンあるから2本か。)だと思う。観て損はない。

テーマ : 演劇

ジャンル : サブカル

2007.11.30
 この作品は、三谷幸喜(以下、出演者敬称略。)の頭の中で、想像か妄想の中で脚本を書いたとしか思えない。ミュージカルの裏方である指揮者(コンダクター)と、個性的な12人の演奏者が本当にいるとは思えないからだ。(=リアリティーがないってこと。)

 13人の微妙な人間関係や愛憎劇(模様)があるのだが、次から次へと展開し、何がなんだか途中から、わからなくなった。いや実は、TVで見ていたので、この12人+指揮者(あとは13人とする。)に何の興味ももてなくなった、と言った方がいいだろう。うるさいどころか騒々しい。あまりにも13人がオーバーアクション(しっちゃか、めっちゃか)しすぎて、架空か虚構か、漫画の世界になってしまったからだ。

 三谷作品は、「きっと、どこかに、こんな人がいるだろう。」という、ぎりぎりの線が良いのに、(例えば「12人の優しい日本人」の登場人物たちだ。)ところが、この舞台の13人は、個性的どころか、奇人変人すぎやしないか。

 指揮者(コンダクター)の白井晃 の熱演が滑稽にみえるほどだ。

 ピアノ (小日向文世)が、ウサギを連れてくるとか、ありえない。他にもファゴット (岡田誠)が 仮死状態で眠ってしまって「死んでるよ~!」12人が大騒ぎ!とか。

 この舞台を最大の愚作にしているのは、歌詞のくだらなさだ!一部抜粋したいと思う。

 「♪~~指にタコが出来ている~~ここにもタコが出来ている~~♪」
 「♪~~鼻がかゆいのだ~~気になって気になって~~どこもかゆくない~~♪」

 なんなんだ、この歌詞は!?「♪~~お母さん、おしっこもらしちゃったのよ、どうしようっ~~♪」と同じレベルではないか。苦笑失笑である。

 ミュージカルは、歌詞に(物語の中で)重要な意味を持ち、さらに歌声で観客は、喜んだり泣いたりして感動するのに、この歌詞(作詞)は、あまりにも馬鹿すぎるっ!全編、歌(声)だけのミュージカルもあるのだから、三谷は歌詞を軽んじているとしか思えない。

 さらに、愚作に拍車がかかるとすれば、ヴィオラ (小林隆) 、ピアノ (小日向文世)、ドラム (温水洋一) 、サックス (相島一之) 4人の歌声、声量のなさだ。特にひどいのは小日向文世の歌(声)だ。こんなのは歌じゃない。そもそも人に(お金を払って)聞かせられるレベルになっていない。ミュージカルに出演するなら、最低一年間プロの歌のレッスンを受けるべきだろう。さらに役者全員、取ってつけたような踊りで子供じみている。

 ファゴット (岡田誠)や、オーボエ (布施明)の歌(声)の上手さに、歴然と差があり、余計に、下手な人達の歌(声)が目立ってしまった。

 白水社 第45回岸田國士戯曲賞選評(2001年) 
 ↑このサイトをクリックして見れば、この作品の選評を読むことが出来るが、もしかしたら私が「ピント」がずれているのだろうか?私が上に書いた事を選評者たちが、ほんとんど触れていないと思う。

 なぜこの作品が第45回岸田國士戯曲賞なのか?選評を読んでも戯曲賞獲得の理由が、さっぱりわからない。 だいたい作品そのものが、軽薄すぎるっ!

 私は元々、映画でも、舞台でも、ミュージカルが嫌いだ。現実に歌って踊って生活するなんて、ありえないからだ。(高校生の時、授業で見た、)映画「サウンド・オブ・ミュージック」でさえ台詞で言えばいいものを、なんで突然、歌で踊りなんだ?はぁ?と今でもそう思う。役者自身が、歌(声)に自己陶酔しているのも鼻につく。(場合がある。)この作品を見て、さらにミュージカルが大嫌いになってしまった。

 この作品、役者の休憩が入る前編まで何とか見たが後編は早送りした。もし劇場で一人で見ていたならば、この時点で帰ってしまっただろう。

 この作品にキャッチコピーがある。一部を変えて皮肉をこめて書きたいと思う。

 「ミュージカルを愛せないすべての人と そうなったすべての人へ。」 

テーマ : 演劇

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2007.09.08
 2006年の約一年前、この舞台(芝居)の批評を「Outlook」に下書きしたのを公開します。(シスカンパニー(株)の会員になるのと、会場の舞台アンケートをかねて郵送した。)
獏のゆりかご
(観覧日 2006年9月28日(木)夜 S列17番)

 2006年8月30日(水)の読売新聞夕刊の「青木豪さん」の記事を読で、飼育員が動物虐待!?なのかと思った。それは絶対にありえないだろうと思っていたが、読んでいるうちに、飼育員の「子供なのかっ。」ということで納得した。

 ずばり書いてしまうと、この舞台を総合的に観て点数をつけるとしたら、100点満点中、50点。(読売新聞、プレゼントコーナーの招待券に当選したので無料だった。)6800円(税込み)を払ってまで観ようとは思いません。いや観るとしたら、その半額が妥当だろうと思う。

 新聞欄に、「平凡な日常の影に潜む事件や微妙な人間関係をリアルな会話で描くのが青木の作風。」と書いてある。この芝居を観てその通りだと思う。

 この芝居を見続けているうちに、何か物足りないと感じた。もう少し内容を含まらせて欲しいというか、プラスαがない。動物虐待、なぜ家(うち)の子供が、どうして動物をいじめるのか?人それぞれの悩みを打ち明けるまではいい。ではどうしたらいいのか?何か解決策はあるのか?そこまで描かれてはいない。

 それは女性飼育員、岡田(杉田かおる)、前夫・越野(段田 安則)、副園長、菅原(高橋克実)との三角関係にもあらわれている。この物話に、三角関係は必要だったのだろうか?話を面白くするために入れただけで、あまり重要性は感じなかった。もっと3人を、舞台上に走りまわせたら、面白かったのに。どうせなら、復縁を迫る話よりも、動物虐待の問題に対して、3人との絡み(=台詞の応酬)を堀り下げるべきだったのではないか。動物虐待にしても、三角関係にしても、中途半端だったと思う。

 岡田(杉田かおる)の「私は息子(名前忘れました。)から逃げようとしていた。」←確かこんな台詞だったか?は印象に残った。「前夫・越野」⇔「副園長、菅原」つまり「段田さん」と「高橋さん」との配役は、逆の方が面白いと思ったが。起承転結の「結」で、獏の妊娠という希望を持たせた終わり方は良かった!

 舞台美術(チラシ、ポスター含む)はいい感じ。照明は普通。演出、衣装に関しては100点満点!ぬいぐるみは良くできている。舞台は上演時間が長ければ長いほど、ダラダラして飽きてきてしまう(=あくびがでる)ものだが、一切それはなかった。静→動→静→動と役者の使い方も上手かったし、キャラクターも立っていた。どの役者さんも楽しんで演じていて、生き生きと演じていた。(←これはものすごく重要)。

 印象に残った出演者は、「杉田さん」「段田安則さん」「高橋克実さん」の3人ではなくて、実はこの2人。→「マギーさん」がいとこどりだし、「池谷のぶえさん」は強烈だった!スタンディングオーベーションもなく、2回目に出演者が出てくる前に、お客が足早に帰ろうとしていたのは、やはり作品自体に「グッ。」とくるものがなかったのだろうと思う。今後の青木さんの課題だろう。

 余談。この舞台の客層は、男女比は3対7で女性が多い感じ。それも中高年の女性が圧倒的と感じた。この戯曲を観て中高年の女性は「ピンッ!」とくるのだろうか?もっと若い人に観て欲しい作品だと思われるが。この日しか知らないが、客席はほぼ満席。

 映画やTVドラマと違って、直接俳優が見られるので、たまに舞台はいいなぁ~と思う。(舞台を観るのは、これで6回目。)出演者やスタッフ達のチームワーク、仲間意識、連帯感、充実感、満足感、達成感など、そいううことは、いつも、うらやましいな~と感じる。それは、物作りに携わる人たちの特権だろう。

 次回は、俳優「高橋克実さんを語る。」です。

テーマ : 演劇

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2007.08.16
 12人の優しい日本人     12人の優しい日本人     12人の優しい日本人
 「12人の優しい日本人」の舞台を、WOWOWで見た。間違いなく傑作!三谷幸喜の真骨頂!

 三谷幸喜(後、敬称略)は、ただものではない!私の中で10年に一人の脚本家、演出家だと思っている。(後、陪審員の番号ではわからないので、すべて本名にする。)

 この戯曲に「起承転結」があるならば、「起」の部分は舞台でも映画でも、だらだらして上手くない。議論になる前の前置きが長すぎるからだ。舞台では効果的かもしれないが、映画では飽きてしまう。それは「ラジオの時間」でも同じ。三谷のすごいところは「転から結」にかけての展開の上手さにある。

 12人の陪審員(それぞれのエピソードがある。)を、どの場所で、どの時間で、どの位置で、椅子に座らせたり、立たせたり、あるいは、誰に、いつ、なんの台詞を言わせるのか、「無罪、有罪の理由」の言葉の応酬など、計算して作っているのが良くわかる。構成が巧みなのだ。笑いは的(=壺)を得、ホロリとさせる台詞と場面、もはや凡人のできる技ではない。三谷の頭の中に、すでに舞台で展開する場面がすべて出来上がっているのか?それとも役者たちと、稽古を通して作り上げていくのだろうか?

 役者に注がれる確かな目、鋭い人間観察力(眼)は、特筆に値する。どうしたらお客さん(=映画の場合は視聴者)にたいして面白いか、どうしたら楽しんでもらえるのか、客観的に、すごくわかっている人だと思う。そして、この戯曲の内容が(万人に、大衆に)わかりやすいからだ。

 司法の仕事に携わっている人ならば、殺人事件で起訴された女性の裁判を、12人の陪審員の議論を通して、裁判の時になぜこんな話をしてこなかったのか、おかしいのではないか?と疑問になるところがたくさんあると思う。それは重箱の隅をつつくことになるけれど。それでも、この殺人事件の話を、2時間以上にわたって、しかもあきさせないで、議論を展開させていく、三谷脚本の力量と手腕は見事だといえるだろう。

 しかも三谷が、1990年当時に(映画「十二人の怒れる男」を下敷きにしても)この戯曲を、30歳以前にすでに完成させていたことだ。この作品ひとつとっても、才能の片鱗を垣間見る事が出来る。今回、2005年の舞台が1990年当時の窮屈な舞台(長方形の机)よりも、陪審員達の机を円形にし、舞台が広い空間になったおかげで役者の動きがダイナミックになった。その事でいっそう面白さが増したといえる。

 「起承転結」の「結」に、この作品の上手さが一番よく現れている。全員一致で無罪に決定した後、12人の陪審員の去り方だ。(これは映画「12人の怒れる男」にもない演出で、三谷の方が上手いともいえる演出。)一見、なんでもない演出なのだが、去り行く順番、一人一人の陪審員の台詞と動作で、人間のやさしさ、温かさが伝わってくる。

 例えば、議論であれだけ争ったにもかかわらず、「どうします、チロット飲みに行きます?、、、。」という、いろんな人に声をかける温水さん。筒井さんと堀内さんに握手をする江口さん。生瀬さんの背中に背広をそっと着せる堀内さん。最初に疑義をした人、生瀬さんが最後に部屋を去っていく、、、。「人間っていいな。人間という生き物はいいな。」という描き方を最後にもってくる。

 役者が、三谷作品に出演したいのがよくわかる。どの役者も主役になりえるし、役者の誰もが印象に残る。そして、演じている役者自身が楽しく面白いからだ。実際、出演した堀部さんがブログでそう答えているのだから。

 この作品は結局何がいいたかったのか?日本人は人の意見に左右されやすいから、日本での裁判員制度は不向きだから、ないほうがいいのか。それともただ単に、「無罪か有罪か。」の討論を、面白おかしい芝居を、見せたかっただけなのか。

 個人的に、この作品は1万円払って観ても損はしないと思った。スタンディングオーベーションが何回もあっても当然といえる完成度の高さだ。またいずれ役者をかえて何度でも上演しても良い作品だ。いや、裁判内容をかえて、まったくの新作でも面白いこと間違いないと思う。三谷なら絶対にできるだろう。

 この作品が、岸田國士戯曲賞をとらなかったのはなぜか?それは、三谷自身のオリジナル作品(映画「12人の怒れる男」が下敷きにあるため)ではなかったからだろう。これが三谷のオリジナル作品だったら間違いなく岸田國士戯曲賞、いや読売演劇賞、最優秀作品賞、脚本賞の気がするのだが。

12人の優しい日本人12人の優しい日本人
(2000/10/25)
塩見三省

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 映画版と見比べてみるのも、面白いと思う。

 三谷幸喜を、絶賛しすぎ(=褒めすぎ)ではないか?という答えにたいして、それはもちろんこの作品に限ってだ。三谷作品の中で舞台「オケピ!」は、最高の愚作であり最大の駄作だ!スタンディングオーベーションをしたお客、そしてこの作品「オケピ!」に岸田國士戯曲賞を与えた審査員、この戯曲を演じた一部の役者、すべてを否定する。(三谷幸喜自身が、天才でも神レベルでもないことがわかる。) 

テーマ : 演劇

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