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| この作品は、三谷幸喜(以下、出演者敬称略。)の頭の中で、想像か妄想の中で脚本を書いたとしか思えない。ミュージカルの裏方である指揮者(コンダクター)と、個性的な12人の演奏者が本当にいるとは思えないからだ。(=リアリティーがないってこと。)
13人の微妙な人間関係や愛憎劇(模様)があるのだが、次から次へと展開し、何がなんだか途中から、わからなくなった。いや実は、TVで見ていたので、この12人+指揮者(あとは13人とする。)に何の興味ももてなくなった、と言った方がいいだろう。うるさいどころか騒々しい。あまりにも13人がオーバーアクション(しっちゃか、めっちゃか)しすぎて、架空か虚構か、漫画の世界になってしまったからだ。
三谷作品は、「きっと、どこかに、こんな人がいるだろう。」という、ぎりぎりの線が良いのに、(例えば「12人の優しい日本人」の登場人物たちだ。)ところが、この舞台の13人は、個性的どころか、奇人変人すぎやしないか。
指揮者(コンダクター)の白井晃 の熱演が滑稽にみえるほどだ。
ピアノ (小日向文世)が、ウサギを連れてくるとか、ありえない。他にもファゴット (岡田誠)が 仮死状態で眠ってしまって「死んでるよ〜!」12人が大騒ぎ!とか。
この舞台を最大の愚作にしているのは、歌詞のくだらなさだ!一部抜粋したいと思う。
「♪〜〜指にタコが出来ている〜〜ここにもタコが出来ている〜〜♪」 「♪〜〜鼻がかゆいのだ〜〜気になって気になって〜〜どこもかゆくない〜〜♪」
なんなんだ、この歌詞は!?「♪〜〜お母さん、おしっこもらしちゃったのよ、どうしようっ〜〜♪」と同じレベルではないか。苦笑失笑である。
ミュージカルは、歌詞に(物語の中で)重要な意味を持ち、さらに歌声で観客は、喜んだり泣いたりして感動するのに、この歌詞(作詞)は、あまりにも馬鹿すぎるっ!全編、歌(声)だけのミュージカルもあるのだから、三谷は歌詞を軽んじているとしか思えない。
さらに、愚作に拍車がかかるとすれば、ヴィオラ (小林隆) 、ピアノ (小日向文世)、ドラム (温水洋一) 、サックス (相島一之) 4人の歌声、声量のなさだ。特にひどいのは小日向文世の歌(声)だ。こんなのは歌じゃない。そもそも人に(お金を払って)聞かせられるレベルになっていない。ミュージカルに出演するなら、最低一年間プロの歌のレッスンを受けるべきだろう。さらに役者全員、取ってつけたような踊りで子供じみている。
ファゴット (岡田誠)や、オーボエ (布施明)の歌(声)の上手さに、歴然と差があり、余計に、下手な人達の歌(声)が目立ってしまった。
白水社 第45回岸田國士戯曲賞選評(2001年) ↑このサイトをクリックして見れば、この作品の選評を読むことが出来るが、もしかしたら私が「ピント」がずれているのだろうか?私が上に書いた事を選評者たちが、ほんとんど触れていないと思う。
なぜこの作品が第45回岸田國士戯曲賞なのか?選評を読んでも戯曲賞獲得の理由が、さっぱりわからない。 だいたい作品そのものが、軽薄すぎるっ!
私は元々、映画でも、舞台でも、ミュージカルが嫌いだ。現実に歌って踊って生活するなんて、ありえないからだ。(高校生の時、授業で見た、)映画「サウンド・オブ・ミュージック」でさえ台詞で言えばいいものを、なんで突然、歌で踊りなんだ?はぁ?と今でもそう思う。役者自身が、歌(声)に自己陶酔しているのも鼻につく。(場合がある。)この作品を見て、さらにミュージカルが大嫌いになってしまった。
この作品、役者の休憩が入る前編まで何とか見たが後編は早送りした。もし劇場で一人で見ていたならば、この時点で帰ってしまっただろう。
この作品にキャッチコピーがある。一部を変えて皮肉をこめて書きたいと思う。
「ミュージカルを愛せないすべての人と そうなったすべての人へ。」
| | 2007/11/30 00:09|舞台(芝居)|TB:0|CM:0|▲
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