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12月1日に「笑の大学」の舞台版より映画版の方が、なぜいいのか?というのを書いた。「だから、映画版の方がいい。」という書き方をしたいと思う。
人物名敬称略です。
まず、この「笑の大学」映画版をレビューする前に、なぜ三谷幸喜が「星護」という監督を指名したかということだ。共同テレビには、本広克行、落合正幸、若松節朗、鈴木雅之、村上正典など、才能あふれる、監督、演出家が多い。
検索エンジンで映画公開前、メディアプレイヤー(今は動画は見れない)で三谷は宣伝をしていた。「この映画を、自分で監督するのは、手におえない。」と言っている。私も、そう思う。三谷は映画監督だとすれば初心者だからだ。
星護監督で大正解だったと思う。三谷自身にも「星護じゃなきゃやらない。」といった審美観を持ち合わせていた。他の監督、演出家だったらどうだったのだろう?ここまでの映像表現は、できなかったのではないか。いかに星護が三谷の考えを汲取り、上手く映像にし、舞台版を映画版に昇華(=ある状態から、さらに高度な状態へ飛躍すること。)しているのがわかる。
オープニング(一日目)から、星護監督の映像表現の上手さが、ほとばしる。浅草の街並に貼られたポスターや看板、劇場での観客の笑いのシーン、警視庁保安課、向坂睦男役(役所広司)が、脚本を読みながら、不許可、許可と、ハンコをバンバン押すシーン、警察で台本の検閲を受けなければ上演できない、作家達の悲喜こもごもなど。
ほとんど台詞が無くても、 向坂が何の仕事をしているのか一目瞭然だからだ。これを舞台版で表現するのは不可能。だから映画版の方がいい。三谷監督だったら一日目最初の8分間を、ここまで出来なかったと思う。
映画版でカラスの話しが無いのは取るに足らないことだ。この映画の一番重要なのは、向坂睦男と椿一役 (稲垣五郎)の2人の男が7日間を通して、どう心情が変化していくか、だからだ。
1日目から他愛のない話(「舞台版」ではカラスの話、「映画版」では今川焼きの話)からはじまるので、だらだらしている。舞台版のほうが飽きやすいと思う。無理難題を向坂は、一日一日、椿の脚本に注文を小出してくるが、それをクリアーしていく。
「設定を日本に変えて下さい。」→「お国のためという台詞を入れてください。」→「神吉、お宮の接吻の場面を外してください。」→「登場人物の中に警察官を一人出していただきたい。」
向坂と椿とのやりとりが面白いと思うか、思わないかで、この作品の評価は大きく分かれるだろう。
長文になりそうなので、その2で書きます。
| | 2007/12/28 18:07|映画|TB:0|CM:0|▲
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