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| 野田秀樹は、何でも出来る何でも屋さんである。芸達者だと思う。(人物名敬称略)
53歳になろうとしているのに、小さな体に軽い身のこなし、きゃしゃな体でちょこまかと動き回る。運動神経はかなりいい。といっても役者は、体が資(基)本だから。TVドラマや映画より、舞台(の演技)が一番向いている。似合っている。
日本バージョンでは、主人公「ビジネスマン役・イド」を、ロンドンバージョーンでは、「人質に捕らられる妻役」を見事に演じきった。どちらもまったく違和感がない。
どちらかといえばロンドンバージョンの女役のほうがいける。背の小ささと細身のスタイルが功を奏し、妙に色っぽい。ロンドンバージョンは、男が女役に女が男役にした意味かわからない。日本バージョンは男役と女役はそのままの配役なのに。男女を入れ替える必要(意味)はあったのだろうか?
もう一つ、手の指を鉛筆で表現しているのは?指を切断するとき、手で「ポキッ!」と折るか、鉛筆を包丁で切り取るが、手の指を鉛筆に見立てなくても、(リアルな)作り物の指を切断してもいいと思う。指を切断すれば相当の出血である。ポタポタ血が垂れた方が、イドの凶暴性がわかりやすくていい。(あくまで個人的趣味です。)そういうところの野田の演出がよくわからない。
細かいけれど、俳優の近藤良平が人質に捕られた幼児役を演じるなら、あごひげは、この舞台のために剃るべきではなかったのか。あごひげが生えた幼児はいないのだから。
この2つのバージョンとは別に、もう一つのバージョンが出来ると思う。イドの妻と子供を人質にとった脱獄犯オゴロ側のバージョンだ。もし、そのバージョンを舞台でやるとしたら、どういう作品になるのか興味深いところである。
私は、この作品は傑作だと書いた。ただし何回も観たい、保存したい作品ではない。1度(2バージョンあるから2度か。)観れば満足だからだ。後味の悪い作品が嫌いだからかもしれない。
この作品は、筒井康隆の短編小説「毟りあい」が元になっている。ちょっと読みたいと思った。傾いた世界―自選ドタバタ傑作集〈2〉 (新潮文庫)(←クリック)この本の中の短編にある。 この作品を評した、河合祥一郎(英文学者)の読売新聞の記事で締めたいと思う。
「〜〜〜観劇時は気づかなかった筒井の表現の特徴なども確認できて興味深い。しかし、戯曲を読むことが、小説を読むことと決定的に違う体験であることを改めて認識させてくれるのは、やはりこの戯曲に優れた演劇性があるからだろう。」
| | 2008/03/22 15:25|舞台(芝居)|TB:0|CM:0|▲
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